ハワイのアイアンマン に向けてカナダが終わって、何と2週間後去年のディフェンディングチャンピオンということで 何と、磐田のハーフ・トライアスロンに出た。 カナダで走ったことがさらに体を鍛えてたみたいで さらにいいタイムが出た。 でも、体の内部では疲労の限界は来ていたのかもしれないなぁ~~ これは今振り返ってみればの感想で、その時は、さらに練習して さらにいいタイムを出すことしか考えてなかったし、できるに違いないって 思っていた。 翌年の宮古島の出場権も得て、その後 とうとう、ハワイアイアンマンの予選会である琵琶湖の出場権も来た。 この後から休むことなくさらにトレーニング量をアップした。 仕事の合間を利用して、 週に12,3キロ泳いで、ランニングは50Kから80キロ走り 週一回の山乗りと週一回のチーム練習で200キロくらいの自転車に乗っていたのではないかな~~。あまりきちんと練習日記を書いたりしていなかったので、少しあやふやだけど。 仕事には障ってない自信はあったけど、仕事の仕方は変わってたかもしれないなぁ。 家事の手伝いとかは、本当にごめんなさいって感じだったと思う。 練習はとにかく性に合ってるようで、よっぽどの日以外は楽しくて気持ちのいいものだった。やってない日の方が体調も気分も悪くなって。 そしてまず一回目のショックが来た。 宮古島まで後10日というころ、夜半の自転車通勤の途中で、まさかの落下物(土嚢袋)が落ちているのに乗り上げて落車した。 左ひざを強く打って、翌日から腫れあがって走れなくなってしまった。 このけがはそのまま、アイシングやストレッチでごまかしてしまったけど 最近高橋大輔選手の話を聞いてると、あの時十時じん帯やっちゃったんだろうなぁと 思ったりする。この古傷はあまりにずっと痛むから。 かなり直前まで悩んだけど、この年のメインは琵琶湖だし、そこで最高のパフォーマンスをしなければ意味がなったので、泣く泣く宮古島はあきらめた。(泣く泣くだった一番の理由はあまりに直前で旅行代金が戻ってこなかったこと) だましだまし練習を開始して、琵琶湖に集中し始めた。 練習チームには同じエイジグループのハワイを狙う人があと2人いたので ライバルとして刺激しあいながら、練習をしていたなぁ。 一番最後の山練習で、いままで上りの坂道では絶対についていけなかった 身の軽いライバルを追いぬけるようになって、さらに手ごたえを感じた。 アイアンマンレースは 3.8キロ泳いで、180キロ自転車に乗って、42.195キロのフルマラソンを走る。こういう長いレースのための練習は本当にスタートラインに立つまでの数カ月できまる。練習のしすぎで疲れ果てていてもいけないので、2週間前からはテーパーと言って 追い込みすぎる練習をやめる。 この年の琵琶湖のレースは6月の29日だったので、忘れもしない6月14日、トライアスリートのたまり場の大井ふ頭でテーパー前最後の追い込みの120キロ自転車に乗る練習をしていた。大井ふ頭は9.6キロほどなので13周乗る練習だったと思う。 一番最後の13周目の残りあとわずかというところで、集団走行の接触トラブルに巻き込まれて落車した。 肩が痛くて起き上がれなかった。 左の鎖骨が折れていた。 もう一度、人生のどん底に落とされた気がした。 |